こんにちは、ゆきこです。
今日で東日本大震災から10年が経ちます。
当時13歳(中学1年)だった自分が10年後の今、主婦として生活していることが変な感じです。
私はあまり東日本大震災について周りに話をすることはありませんでした。
しかし、10年という月日が流れて記憶が薄れつつあるのが現実です。
ブログを書いている今、自分の気持ちを記録する意味でも記事に残そうと思います。
(身バレ防止のため当時住んでいた地域などは伏せています。)
3.11の記憶
3月11日、私はインフルエンザで学校を休み家で1人寝ていました。
違和感で目を覚ますとグラ~グラ~と揺れていました。
「気持ち悪い。目眩かな。」
そう思った直後、ガタガタガタッと揺れ地震だと気がつきました。
ベッドの下に潜り込みひたすら揺れが収まるのを待っていました。
すぐに母から携帯に連絡があり、無事を確認され家が安全ということでそのまま待機することになりました。
情報を得ようとテレビの電源を入れたとき、衝撃を受けました。
「震度7、これは大変なことになる。」
リモコンを手に握りしめて震えが止まりませんでした。
私が生まれる数年前、両親は阪神淡路大震災を経験しています。
当時の経験から、災害については両親からしっかり教育をされていました。
だからこそ、これから報道される内容を想像し不安に襲われました。
テレビで見た津波
恥ずかしながら、私は津波というものがどれだけ怖いのか東日本大震災まで知りませんでした。
「津波?高潮みたいなもの?」テレビを見ながらそう思っていました。(無知でした)
だから、津波の様子が中継されると意味が分かりませんでした。
アナウンサーが「津波」と言っているのは、黒い塊で火が出ていたり家の一部(木材など)が見えるんです。
「これが津波?いつも見るキレイな波じゃない。」こんなことしか思い浮かばず、テレビで見ている状況を飲み込めませんでした。
ビニールハウスや家が簡単に「津波」という黒い塊に飲み込まれていく映像は、今でも鮮明に覚えています。
その映像を見ていると母親が仕事から帰ってきて、私の無事を確認するなりテレビを見て絶句していました。
家族が帰宅できない
母親と「これから被害の全貌が分かるまで、時間がかかるね。」と話をして家にいない家族や親戚の安否確認をしていました。
その日に限って、家族が1人被災地の方面へ出張でした。
連絡はつかない、きっと回線が混んでいるだけだろう。
それくらいのんきに考えていました。
津波の様子を映像で見たのに、まさか人が巻き込まれるなんて、人が津波に巻き込まれるなんて・・・私には想像もつきませんでした。
(今思うと楽観的だったと思います。)
家族から届いたのは短いメールで「怪我はない。しばらくは帰れないと思う。余震に気をつけて。」こんな内容でした。
いわゆる帰宅難民ですね。
このメールが届いたのが夜で、それまでずっと緊張状態でした。
残酷な現実
当時の私は「震度7」という大地震が起きたこと、得体の知れない「津波」という災害も起きたことでかなり参っていました。
でも、テレビで情報収集するのはやめられませんでした。
どことなく使命感を感じていたんだと思います。
当時中学1年生、「この大震災をしっかり記憶しておける若い世代が自分なんだ。しっかりと向き合おう。」そんな気持ちがありました。
そんな気持ちになったのは、両親に日頃から阪神淡路大震災の話を聞き、[神戸新聞の7日間]というドラマを見ていたからです。
精神的に辛かったけれど、このときの記憶が今の防災意識にも繋がっているので後悔はしていません。
しかし、[原発事故]のニュースに心が折れてしまいました。
地震、津波、原発事故・・・どうしてこんなに続くんだ。
どうして、どうして・・・被災された方は何もしていないのに。
そうぐるぐると考えが巡りました。
数日掛けて被災地の方面にいた家族が無事帰宅しました。
その家族も、3.11のことについて語ることはありませんでした。
10年経った今も話せない記憶なんだと思います。
あの日から10年
あの日から10年、当時はもっと感じていたこともあるのに今書けるのはこれくらいです。
テレビには困っている人が映るのに、私には何も出来なかった。
当時のもどかしさや悔しさが私の行動力に繋がっています。
その時を後悔しないように生きよう、東日本大震災を経てそう考えるようになりました。
「阪神淡路大震災のような苦しい災害には、もう遭わないと思っていた。」
両親が当時、よく口にしていました。
大きな災害はきっとまた起きる。
その時、私に何ができるのか?どう備えることができるのか?悩みが尽きることはありません。
10年経っても私はあまり成長していませんね、考え込むことばかりです😅
今日は防災バッグの見直しの日です。
防災用品の中でも、保存食や水は高価ですよね。
でも、命を買うと思えば安い、もしかしたら被災時に別の人を助ける食事になるかもしれない。
使わないことを願いながらいつも準備しています。
皆さんは防災バッグの見直しをもうされましたか?
少しでも震災について考えるきっかけになれば嬉しいです。
(愛用している保存食のショップは▼)
